立教大学経営学部国際経営学科教授/
前中央教育審議会外国語部会専門委員
松本 茂
Matsumoto Shigeru
新学習指導要領が目指す方向性
「英語教育」2009年7月号(大修館)
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From "The English Teachers' Magazine" July 2009 Vol. 58 No. 4 (Taishukan)
本年3月に公示された高等学校学習指導要領の特徴のひとつは、科目横断的に「思考力・判断力・表現力」の育成が重視されていることである。
そして、外国語科(以下、英語)に関しては、核となる科目名が、これまでの「英語」から「コミュニケーション英語」へと変わった。
この変化の背景には、多くの授業は教師主体だと言われている状況がある。「生徒は、教師の文法説明を聞いたあとに、文法の問題演習に取り組む。英文を読む際には、一文ずつ和訳し、教師からコメントをもらったうえで、訳された和文を覚える」といった(受験でさえあまり役立たない)指導が、依然として多くの教室で展開されている。このような現状を踏まえ、「授業を実際のコミュニケーションの場面」とし、生徒主体の授業展開へと変換させて「思考力・判断力・表現力」の向上を目指す、という方向性が、この科目名称の変更に表現されている。
さらに、現行の「オーラル・コミュニケーション」と「ライティング」を融合・発展させた「英語表現」という科目が新設された。このことから、英語においては「表現力」の向上がとくに重視されていることがわかる。
「英語表現I」の目標が、「英語を通じて、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を育成するとともに、事実や意見などを多様な観点から考察し、論理の展開や表現の方法を工夫しながら伝える能力を養う」となっている。「英語表現II」では、文尾だけを「…を伸ばす」と変え、能力の伸長を目指している。
このように「コミュニケーション英語」「英語表現」といった科目が設定されたのは、英語という言語についての知識を増やすだけでなく、英語で表現されている内容に関する情報や考えを活用し、いろいろな角度から分析・考察したうえで、自分の意見などを表現できるようになることが重要である、という考えにもとづいていると読み取れる。
いずれにしても、教師が文法事項や訳し方を説明して「わかりましたか?」と生徒に問うことが中心の授業ではなく、生徒が英語を使う場面を数多く設け、使いながら英語を習得していく指導法が求められている。つまり、「表現力」の向上は、「4技能(聞く・話す・読む・書く)の統合的な指導」や「英語〈で〉授業を行う」ことに密接に関連している。
授業ディベートとは
ここで、本稿のタイトルに挙げた「授業ディベート」という言葉に触れておく。
裁判、党首討論、ビジネス会議における討論といった実社会におけるディベート(Substantive Debate)とは異なり、教育的効果をもたらすことを主たる目的として行われるディベートを、ディベート教育の専門家は「教育ディベート(Educational Debate)」と称して、前者と区別することがある。
本稿では、その教育ディベートの内、ディベート大会における競技志向性の高いディベート(「競技ディベート」と呼ぶ)と、授業や研修における教育手法として展開されるディベート活動とを便宜上、別のものとして捉え、後者を「授業ディベート」と呼ぶことにした。(この両者には、その目的や指導法にレベルの違いはあっても、教育的にはそれほど大きな違いはない。しかし、ディベートと聞くと、「競技ディベート」を思い浮かべる教師が圧倒的に多いことを踏まえて、私は「授業ディベート」という言葉を意識して使うようにしている。)
しかし、「授業ディベート」というラベルを使用したとしても、30~40分程度かかる「ディベートの試合」をイメージし、「うちの学校では無理」と即断してしまう教師も多いかもしれない。ここで言う「授業ディベート」とは、授業で行うディベートの試合だけを指すのではなく、「ディベートの対立的コミュニケーションの形態や発想を活用した活動」を指している。
例えば、論証文を読んだうえで、主張が十分な説明や証拠に支えられているかを検証したり、筆者とは反対の立場からインタビューするための質問を考えたり、あるいは対立する意見を書いたりすることも「授業ディベート」と捉える。
考えてみれば、これまでの授業では、教科書に掲載されている英文を無批判に受け入れることが繰り返されてきた。英文の構成はもちろんのこと、説明の仕方、そして、提示されている情報や意見までをもモデルとして受け入れることを前提とした授業がほとんどである。情報や意見を聞いたり、読んだりするときに「何を言いたいのかよくわからないな」「説明の流れや内容がなんかおかしくない?」「これってホント?」「別の視点も考えられるのではないの?」「だから、どうしろって言うの?」といった思いが浮かぶことは本来当然である。今後は、こういったクリティカル・シンキングを促すような指導を展開すべきである。
英語教育におけるディベート
このような「授業ディベート」という指導法は新学習指導要領において現行版と同様に求められている、言語の4領域(技能)を有機的に関連付けた活動を行うこととも密接に関係している。
「4領域を有機的に関連付けた活動」と言うと、とても特別のことのような感じがするが、われわれがコミュニケーションにおいて実際に言語を使用する際には、4領域が自然と関連付けられているケースが多い。
例えば、大学生が専門科目の授業を履修している状況を思い浮かべてほしい。宿題となっていた教科書の該当ページを授業前に読んで、授業では教師の話を聞きながらノートを取りつつ、教科書の該当ページに目をやる。そして、わからない箇所について教師に確認したり、質問したりする。こういった通常のコミュニケーション場面では、4領域が有機的に関連付いている。
このような4領域を関連付けた活動例のひとつが「授業ディベート」なのである。
もちろん、初期の段階では、4領域すべてを関連付ける必要はない。むしろ、「聞いて話す」「読んで書く」といった2つの領域のみを統合した活動からスタートすべきである。例えば、読む活動では、読んだあとに書いたり、話したりすることを前提に行う。そして、段階を踏むにしたがい、例えば、「スピーチを聞きながら、メモを取り、そのメモを見ながら質問をする」といった3領域を関連付ける活動へと移行する。
いずれの段階においても各領域を有機的に関連付けるのに必要なのが「考える力」である。これまでの日本の英語教育では、考える力を養成することの重要性にあまり着目してこなかった。しかし、幸いなことに、今回の学習指導要領では「思考力」も重視されている。
いくら語彙や文法の知識が豊富で正確だとしても、考える力が備わっていなければ、「表現する」という行為に結びつきにくい。そもそも、疑問や意見が思い浮かばなければ、表現どころでない。そこで、「授業ディベート」で小生が以前から「第5の領域(技能)」と呼んでいる「考える力(思考力)」を育成し、分析の視点を持つことで、発想が浮かぶようにすることが肝要である。この考える力は、英語の4領域を結びつけるうえで不可欠である。
英語の4技能を結び付ける思考力 |
授業ディベートに必要な思考力には、読んだり聞いたりした情報や意見を無批判に受け入れないための「批判的思考力」、情報や考えを聞き手・読み手のためにわかりやすく構成したり、話の流れを推測したりするときに必要な「論理的思考力」、そして、コミュニケーションという待ったなしの状況で考えられる「迅速な思考力」の3つがある。このような思考力を磨きつつ、総合的な英語コミュニケーション力を伸長するのに、授業ディベート活動は役立つはずである。
英語〈で〉授業を行うことの意味
今回の学習指導要領の公示でもっとも注目を浴びたのが「授業は英語で行うことを基本とする」という点であるが、これは授業ディベートの活動という点からみても、高校英語のごく初期の段階の指導から実施してもらいたいことである。
4領域を有機的に関連付けて、実際のコミュニケーション場面に近い状況で英語を使いこなすことを可能にするには、聞いたり読んだりしたことを英語でノートを取ったり(note-taking)、重要語彙を定義付けたり(defining)、重要な文を言い換えたり(paraphrasing)、内容をまとめたり(summarizing)といった学習活動を指導の初期段階から体験させ、学期が進むに応じて徐々に負荷をかけていくことが不可欠である。
また、こういった活動は、やさしい英文を訳さずに多読・速読する、英英辞典を使用する、まとまった量の英語を聞いて概要をつかむ、といった基本的な学習活動に支えられている必要がある。
それまでは延々と日本語による授業を展開してきて、3年生の1学期になったら急に英語でディベートの試合をさせる、といった無理な指導計画は論外である。3年間にわたって綿密に練られた計画にもとづいた指導がより一層求められている。
受験との関係性
「難関大学合格」というのは、いわゆる進学校の教師に課せられた使命のひとつであり、それを意識した指導をするのは当たり前であろう。
しかし、進学校の教師の多くは、受験対策として不向きである、無駄である、という理由で「英語での授業」や「授業ディベート」を敬遠しがちなことは残念である。まずもって「受験vs.コミュニケーション」という二項対立の発想は受け入れ難い。一石二鳥の指導は可能なはずである。
それに、たとえ受験のみに焦点を当てたとしても、現状の訳読・文法指導は受験対策にすらなっていないように思える。数学の定期試験で、教科書に出ていた問題とまったく同じものを出している進学校はないはずである。しかし、英語に関しては、授業中にすでに扱った文章を材料として、しかも授業中に確認した通りの英文和訳問題や文法問題を出しているケースがほとんどである。これでは、受験で必要となる知識やスキルを活用する力を育成することは期待できない。
センター試験はもちろんのこと、難関大学の個別試験に出題される英文も年々長くなってきている。また、英問英答というケースがかなり多くなった。よって、「日本語にいったん訳してから理解する」というプロセスが身に付いてしまっていることがかえって障害になってしまう。
さらに、国公立大学の試験におけるライティングの問題では、授業ディベートの活動として想定されているような「英文を読んだうえで、自分の意見を書く」とか、「ディベートの論題のような課題が提示され、賛成か反対かの立場をとってまとまった文章を書く」といった形式の出題が多い。
こういったことから考えても、「英語で行う授業」や「授業ディベートの活動」は、受験指導として不向きであるとは言えないはずである。
授業ディベートの導入には、まず教師が自分の考えを俯瞰し、偏見を取り除くことが必要だろう。
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