日韓共同で開催されたサッカー・ワールドカップで、「大会呼称問題」、「会場選定に関するトラブル」、「大会の形式」等について、もめ事が起きたことは記憶に新しいことです。あれから一年がたった頃、日本組織委員会の幹部は、国際サッカー連盟(FIFA)と交わしたはずの約束が次々と反故にされた究極的な原因を、<語学力の不足>にあると断定しました。
「腹の中まで知り抜いた関係を築く語学力が、我々の組織に欠けていた」と大会関係者は回顧しているそうです。
島国である我が国では、異なった言語を話し、それを理解する必要などまったくといっていいほどありませんでした。しかし、ヨーロッパのように隣村ではドイツ語を、川向こうではフランス語をという地域では、語学力は、国民の生活レベルでも、国と国との関係でも必須のものでした。
1957年、アメリカは人工衛星の打ち上げで、ソ連に先を越されました。
<スプートニクショック>が起きたのです。このとき、アメリカが国策として理科系の学科に力を入れたことは有名です。また、月に人類をおくりこむという夢のような<アポロ計画>を立案しました。
しかし、あまり知られていないことですが、アメリカ合衆国は、この時、「国家防衛教育法」なるものを定めて外国語教育にも力を注いだのです。
アメリカ合衆国の指導者たちは、「言語力は国力である」という命題を実践したのです。
四十年代、アメリカが、日本との戦争を覚悟したとき、全米から日本語学習者・日本研究者をワシントンに集めて、国家レベルで「日本」研究を指示しました。
当時の日本が敵国の言葉であると英語学習を禁止したのとは大違いです。
このときの研究は、若き女性研究者ルース・ベネデイクトによって、『菊と刀』という著作となって、日本文化論の古典的名著となっています。
また、イギリスは、国民総生産がイタリアを下回ったのを機に、1992年から、11歳以上の生徒に、外国語を選択させて、必修としました。
これもまた、「語学力は国力である」を実践した例であると言えます。
☆ ☆ ☆
では、日本の英語教育は一般的にどのように受けとめられているのでしょうか。
世界共通の英語テスト、TOEFL(Test of English as a foreign language)の98年度の日本人平均点は39カ国中、33位でした。日本と同様、英語と言語体系が大きく異なる母国語を持つ韓国は20位でした。点数的にも日本は韓国に34点も劣っているのです。
このことから見ても、日本がいかに島国的発想を後生大事に持っているかが分かります。
しかし、危機意識を持って、<言語改革>を行おうとした事例が、日本の近代には二回あります。
一つは、開国を迫られた後の1873年に森有礼が英語を公用語にせよと提言したことです。
二回目は、1950年に、尾崎行雄が「英語国語化論」という論文を発表し、日本語を廃止して英語を国語とするという案をだしています。
しかし、二つの論とも、その後の日本の国力の増大に伴って消えていきました。
いま、バブルの崩壊、日本経済の後退といった中で、「英語第二公用語論」が静かに議論されています。もちろん、それを示す言葉は「グローバル化」というキーワードです。
今の「グローバル化」は、過去二回あったような事態では済まないと考えられています。次代の中核を担う人材が、英語で物事を受信し、英語で発信する力がないとトップレベルでの仕事ができないし、とどのつまりは、日本の国力は定まらないというのです。国家レベルで、ワールドカップサッカーのような事態が起きては困るのです。
よって、このことは真剣に問われているのです。
わが国の英語教育においても、発展的な改革がなされつつあります。将来的には、全ての教科を<英語>で教えるというものです
この学習法は、Immersion Program(浸漬(しんし)教授課程)と呼ばれています。
Immersion Programは、60年代にカナダで始まりました。
カナダは、英語とフランス語の二つの言語が公用語となっています。公務員になるには、この二つの言語の理解が必要となっています。
そのカナダで、英語を母国語とする児童に対して、第二言語としてのフランス語で教育していくのです。
この教育指導は、一般的には小学生から開始されます。
1987年、カナダでは、Immersion Programを四つに分けて、対応するように定めました。
1)Early total immersion (早期全体浸漬)
幼稚園からの教育をフランス語で行い、第2年次までこれを継続し、第3年次以降は授業の約半分を英語で行う。
2)Early partial immersion (早期部分浸漬)
幼稚園から第3年次まで授業の約半分をフランス語で行い、残りの半分を英語で行う。
3)Delayed immersion (遅延浸漬)
教育の必要な言語としてのフランス語の使用を第4、5年次まで遅らせる。
4)Late immersion (後期浸漬)
フランス語の使用を第7年次(中学1年)からはじめるもので、1年か2年間すべての授業をフランス語で行う。
現在、このimmersion教育を行っているのは、静岡県沼津市にある加藤学園です。この学園では、72年から小学生に英語を教えてきたが、会話力が伸びないので、このイマージョン教育を92年に取り入れ、いまでは、小中高で実施しているというのです。
方法は、まず、国語・社会をのぞく、教科書を英訳するところから始めます。そして、教科を英語で教えるという方法です。
その結果、英語を「聞く・読む」というスキルは、同年齢のネイティブスピーカーと同じ程度になるということです。また、英語を「話す・書く」というスキルは、ネイティブには劣るが、同年齢程度のネイティブの半年遅れほどの力をつけると言われているそうです。
こうした指導方法は、日本の学校教育の中で、主要な柱になっていく可能性を十分に秘めています。
将来の教育現場では、英語という言語ですべてのことを指導するという教育の潮流を受けとめていかなくてはなりません。
英語という科目は、日本をグローバル化するために、また、日本を世界のリーダーとするために必要なアイテムであるということは今や明白です。
世界の教育の潮流は、母国語である「国語(日本語)」を大切にし、母国の歴史を的確に認識すると同時に、「英語」で自分の考えを述べ、「英語」で相手と意思疎通する人間の必要性を各分野に求めているのです。それに応えていくのが、将来の教育のあり方でもあるのです。
コメント