英語と日本語はあまりに違う
当たり前だが、日本語と英語は違う。それもあまりに違うのだ。何が違うかというと、発想の仕方から始まり、発話の方法、そして語彙や文法に至るまで、何一つ共通のものはない。言語のタイポロジーからして、日本語は膠着語類に属するのに、英語は屈折語類に属するという感じで、そもそも異なる言語類に属する。
まず、発想法があまりに違う。英語は語順が絶対だ。Thereで始まる構文以外、主語が必ず必要で、述語それも他動詞を多用し、「主語がなになにする」という、人間の行為が中心になる表現をとる。さらには、名詞中心に文を構成し、間接話法でなければ、伝聞情報が不自然になる。一方で、日本語は語順にこだわらず、名詞や形容詞につける助詞により、どんな順番でも組み替えることができる。三上文法によれば、日本語には主題はあるが、主語はない。さらに他動詞はほとんど用いず、「ある」とか「なる」というふうに、事態があるがままにいるというような表現を多用する。日本語では、基本文は述語のみであるように、述語中心の文構成をとり、間接話法で表現するとおかしくなる。
次に、発話方法をみてもあまりに違う。我々日本人は咽と上口蓋で発話し、舌の動きはほとんどない。一方で、英語の話者は内口蓋と唇と顎の形と、舌の三次元的な激しい動きを行うことで発話を行う。彼らの発話では、あまりにツバキがものすごいので、時に閉口することもしばしばだ。また、日本人は腹から声をだすのが良い声だと言われるが、英語話者は頭蓋を共鳴させ、上胸から声をだすのが良い声だと言われている。感情を表現するのに、イントネーション、ピッチ、ストレスなど多様な発声方法をもちいる。しかし、それらを数年程度で習得することなど、到底不可能である。僕の弟は15年も米国に住んでいて、永住権も持っている。彼は普通に英語の文は構成できるが、アクセントがイマイチなので、いつまでたっても米国人にとっては外人のままである。
更に、語彙に至っては、全く共通点をもたない。共通点がないことに加えて、英語の単語はスペリングと発音が全く違う。EnglishのEは発音するが、Takeのeは発音しない。こんなに見栄と実質の音が違う言語は、数多くある言語でも珍しいということである。
以上のように、英語と日本語はあまりにかけ離れているのだ。
英語の必要がない日本人の大部分は、英語を全く使わないでも生活できるということが、英語ができないということをエンハンスする。普通の日本人は、大学卒業まで英語の授業以外で、英語を使ったり、英語の本を使ったりすることはない。大学レベルくらいまでなら、必要な本はすべて翻訳されていたり、日本人の日本語の著作がいくつも存在したりする。つまり、英語の授業・試験以外では、全く英語が必要ない。
このような日本の状況とは正反対の事例がある。1年半くらい前に、
Zope 3のスプリントをZope Corporationで行ったのだが、そのときに、デンマークから参加したJacobは、かなり英語がうまかった。その理由を聞くと、「デンマークでは、中学を過ぎると理科系科目はすべて、英語の教材を使って、英語で講義を行うからなんだよ。」と言っていた。デンマークのような小国は、すべての本を翻訳するだけのリソースがないので、英国や米国の教科書をそのまま使うのだそうだ。教材が英語なので、講義も英語になり、テストも英語だそうだ。だから、情報系や理学系や工学系のテクニカルタームはデンマーク語に訳せないそうだ。
また最近フィリピンの人間と話すことが多いのだが、彼女は、アクセントを含めて、かなり英語がうまい。その理由を聞くと、アメリカの植民地だったので、社会的に出世するには、英語が話せなければ問題外だし、大学の講義はすべて英語で行わているからだ、と言っていた。
つまり、デンマークやフィリピンなんかだと、小国であったり過去に植民地であったりしたことが、強制的に英語ができるように作用するみたいなのだ。それに対して、日本は米軍占領下においても英語を強制されることがなかったし、英語を話す必要もない。せいぜい海外旅行のときに、おきまりの日常会話を言えばよいくらいだ。そう、我々は日本にいる限り、英語を使う必要がないのだ。だから、英語ができない。
英語を下手にカジっている普通の大学卒業した日本人なら、中学高校で6年間、そして大学で2年間という具合に最低8年間の英語授業を受ける。高校入試、大学入試、そして最近では大学院試験や入社試験でのTOEICという具合に、英語の成績が人生を決することさえある。このように我々は英語を長年勉強せざるを得ない。
その一方で、「英語と日本語はあまりに違う」にも関わらず、上達に必要とされる勉強時間が圧倒的に足りない。この長年勉強を強いられているにも関わらず、(勉強時間が少ないので)上達しないという状況が、多くの日本人を英語学習へのトラウマに追いやる。そう、外国語、それも英語くらいできなきゃ、という漠然とした、間違った想いを抱くのだ。その結果が駅前留学であり、白人プライベートレッスンなのだ。
それに対して、アメリカ人それも白人系やアフリカ系の大部分は、外国語を学ぼうなんて気はさらさらない。大学で外国語を専攻する人間もあるが、概してヒドイものである。日本に旅行に来ているのに、「なぜ、オマイは英語を話さないのだ」というのを、平気でやるのだ。自分が外国語を話すなんて、殊勝な態度はハナから抜け落ちている。確かに、英語はリンガフランカではあるのだが、それにしてもこれはないだろ、ということが多すぎる。「アメリカ人はなぜ日本語ができないのか」だとか、「アメリカ人はなぜフランス語ができないのか」なんて問いが、アメリカ人の中に存在しないのだ。
つまり、アメリカ人と違って、日本人は英語を下手にカジっていることが、「日本人はなぜ英語ができないのか」という意識を生み出す元凶なのだ。
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