キッズ・バイリンガル・セミナー
8月12日、13日、14日の3日間、3~8歳くらいの子供のいるご両親を対象に、セミナーを開きます。
主旨は、早くお子さんに英語に触れる機会を作ってあげてくださいということです。
英語は言語であって、人間には誰にもそれを習得する能力は備わっています。勉強ができる、できないは英語習得能力と関係がないのです。ただ、言語は幼児~10歳くらいまでの間であれば、体で吸収できますが、その後は、「勉強」という形でしか、習得できなくなります。今から英語スクールに通わせれば、あなたのご子息は勉強せずして英語が得意になり、それは将来どんな分野に進むにしても、大きなプラスになります。
中学校にあがるまでに、英語を身につけおけば、スタートラインですでに英語では他の生徒より先に進んでいるので、「得意意識」が生まれ、英語の成績は群を抜くことになるでしょう。その結果、英語にかける時間を他の教科に回せば、学力全体の向上につながります。
残念ながら、日本の英語教育は、明治維新以来、読み書きのための文法を中心としていたので、英語を話す、聞く能力を養いません。
英語は、今後、経済・文化のグローバル化(世界化)が進むにつれて、不可欠になることは必定。10年、20年先、英語を話せることは、特技でなく“当然のこと”になっているでしょう。勝ち組と負け組の違いはそこで表れるのです。
保護者各位:
みなさん、グローバリゼーションという言葉をよく耳にしますね。では、グローバリゼーションとは一体なんなのでしょう?ひょっとして、「そんなこと私には関係ないわ」と思ってはいないでしょうね?今のあなたに直接関係ないかもしれませんが、あなたのお子様には大問題なのですよ。なぜかを、説明しましょう。
まず、グローバリゼーションとは、日本語で「地球化」ということです。商業・文化・スポーツなどあらゆる部門で、世界各国の国境が取り払われて、世界が一つになるということです。地球に住む同じ人間がいつまでも、「国」という壁を隔てて張り合う時代が終わりかけているのです。
戦後、国際化という言葉がもてはやされました。外国と交易をして外貨を稼ぐのが目的で、それはあくまでも、自国繁栄のための手段でした。戦争をしていた時代ですから、愛国主義がまだまだ強かった時代です。そこで、外国との貿易に従事する人たちには、上手で有利な交易をするため、万国共通語である英語を話すことと、文化や慣習を身につけることが求められました。
ところが、今、世界で起こっているグローバリゼーションとは、そういうことではありません。「国際」は英語で「インター・ナショナル」すなわち、国と国の間でのことです。グローバリゼーションとは、その国と国の間にある国境、距離を取り除いて、個人と個人が商業、文化、スポーツ、芸術、趣味など様々な点で、自由な交流を図ることなのです。グローバリゼーションの動きは70年代からありましたが、それを一気に促進したのが、インターネットをはじめとする情報通信技術の革命です。インターネットが普及する10年前までは、外国の人と話すのに高い料金を払って国際電話を使っていました。ところが、今ではパソコンがあれば、相手の画像を見ながら、無料で世界中の人と話すことができるのです。
その結果、これまで成立し得なかったビジネスがどんどん成立してきています。インターネットの普及は、地球の反対側からでも瞬時に商品をバーチャルの動画で見ることができ、売り手の表情を見ながら交渉ができる、それは、まさに自分がその場にいることと同じです。高い運賃を払って外国まで行く必要もなくなったのです。人類は距離を克服するために飛行機を発明しましたが、それでも所要時間と費用を考えると小規模のビジネスには、1万キロという距離の壁は大きく立ちふさがっていました。ところが、インターネットの普及と同時にその壁は、いとも簡単に取り除かれたのです。
また、インターネットという媒介を通じて、どこからでも、世界中に向けて自分の商品を宣伝することが可能となりました。つい10年前まで、地元の新聞に広告を載せるのがやっとだった人が、インターネットを使うことで、世界という市場に向けて自分の商品を宣伝できるようになりました。青森県の民芸品をアフリカの名も知れぬ町の人が買う、そんなことが可能になったということです。その結果、以前より国内市場に限られていた商品が世界の市場に登場することになり、ビジネスの機会は今後、グローバル社会の発展と共に大きく飛躍することはあきらかなのです。
こんな話もあります。韓国の5歳のギターリスト(ギターの演奏者)が、今や世界中で有名になっています。彼の演奏をYoutubeという動画サイトに載せることで、世界中の人が一瞬でそれを見て、賞賛することが可能になっているのです。以前であれば、5歳の子供が、各国で演奏して回ることなど、経費だけを考えても不可能です。しかし、Youtubeのおかげで、彼の演奏を見て、世界各国から彼の演奏を聴きたいという招待が殺到しているそうです。
グローバリゼーション(地球化)された社会、すなわちグローバル社会はこれから猛スピードで広がります。IT技術の革命は、一年先に何が可能になっているか、想像もできないほどの速度で進んでいるのです。インターネットが開発されたのは、たかが15年前のことです。 そして、この10年間で、パソコン、インターネット、携帯電話、画像送信のデジタル化の普及は、私たちの生活を根底から変えてしまいました。次の10年、いや5年で、何がどうなっているか、想像できる人はまずいないでしょう。ひとつだけはっきりしていることがあります。それは、急速に広がるグローバル社会において、共通語である英語を話せることが、その一員になる最低の条件だということです。
それがどういうことかというと、一番わかりやすいのは、明治維新を考えてください。ご存知のように、江戸時代には、250以上の藩があり、北は北海道から南は鹿児島まで、日本人はさまざまな方言を使っていました。政治の中心地であった江戸と、商業の中心地であった大坂でもかなり違った日本語を話していました。例えば、「あなた、どうかしましたか?」と言うのを、江戸では「あんさん、どうなすったんだい?」、
大坂「おたく、どないしはったん?」
薩摩「おはん、いけんしもした?」
津軽「おめ、どしたんずや?」
愛知「おめぇ、どうしてまった?」など、よく見ると、まったく違いますね。江戸時代の人たちは、基本的に一生自分の生まれた土地を出ることがなかったので、その地の方言だけがわかればよかったのですが、明治になり、交通整備が進み、人の流通が起こり始めると、言葉もおのずから政治経済の中心地である東京の言葉が標準語として普及し始め、学校でも標準語教育が始まりました。
地元で一生暮らすつもりだから、「自分には標準語など必要はない」とかたくなに拒んだ人も多くいました。しかし、その人たちは、新しい日本社会から隔離され、小さな地元という世界にしがみついて生きていかざるを得なかったのです。
当時、「新しい日本」の標準語を拒むことは、今、「グローバル社会」の標準語である英語を拒むことです。うちの子は、中高大で少なくとも8年間の英語教育を受けるのだから心配はないとお考えではないですか?残念ながら、今の日本の英語教育はコミュニケートするためのものではありません。では、何のためなのか、というと、「受験英語」という言葉にあるように、大学入試に受かるためのものなのです。
グローバル化が進む中、これではだめだと、文部科学省は平成15年に「英語が使える日本人」の育成のための行動計画なるものを打ち出しました。その出だしは「経済・社会等のグローバル化が進展する中、子ども達が21世紀を生き抜くためには、国際的共通語となっている「英語」のコミュニケーション能力を身に付けることが必要である」とあります。そして、小学校5年生から英語の授業を始め、ALTの導入などを図ってきましたが、現実にはこの計画は失敗に終わっています。問題は、5年生と6年生に週一時間の英語の授業をしたくらいでは、何もならないということです。
今、中国や韓国では、小学校1年から英語を週5時間教えています。韓国では、ネイティブの先生だけで、一切、韓国語は使わないそうです。なぜ、日本は、こんなに悠長に構えているのでしょう?今年、日本は、世界第2位の経済大国から、3位に転落します。もちろん、中国が日本を追い越したのです。まるで、兎と亀の物語のようですね。
どうしてうちの子が今から英語のレッスンを受ける必要があるのか?
英語は、語学であるというより、言語、すなわちコミュニケーションのための道具であると考えるべきです。たしかに、現在の中学、高校教育において、もっとも重要な学課であることは紛れもない事実ですが、英語を話すことは、日本語を話すことと同様、学問ではありません。
無論、日本語にも国語という教科があります。しかし、それは読み書きの能力を高めるためのもので、話すことではありません。国語はすでに日本語を話せる子供たちが学ぶ教科です。日本語の話せない外国人の子供に、国語の勉強を押し付けることがいかに無茶か、考えてみてください。それを、日本では、英語を話せない日本人の子供たちに英語の教科を押し付けているのです。
中学校に入って英語を始めるや、はじめから苦手意識を持つ子供がたくさんいます。特に最近では、帰国子女や英会話教室に通っている子供たちが増えたこともあって、中学1年生のスタート時点で、できる子とできない子の差が以前になく大きくなっています。中学1年が終わる頃には、英語が得意な子と苦手な子の差は歴然としたものになります。日本の英語教育が片手落ちであることは、万人の知るところですが、現状、文部科学省が大改革をしないかぎり、この状況はかわりません。その不足を補うのが、当学院のような英会話スクールなのです。親御さんにしてみれば、どうして学校で英会話を教えてくれないのかと思われるでしょうが、現状、日本の学校制度の中には、英会話を教えることのできる先生がいないのです。
理想的には、あなたのお子様が、中学でみな一斉に英語を始める時、すでに英語の素地ができていることです。むずかしい文法を知る必要はありません。ただ、英語の感覚を身につけるだけでいいのです。せめて3年間、できれば5年間、週一回の頻度でネイティブの先生と時間を過ごせば、あなたのお子さんの将来は著しく変わります。中学に入って、英語で得意意識を持つことができれば、成績もどんどん伸びるでしょうし、そうなれば、英語に充てる時間を他の教科に向けることもでき、それはすなわち学力全体を向上させることになるでしょう。
「今の時点で英会話など習わせる必要があるの?」という疑問の答えは、もう出たと思います。あなたのお子様が高校に通い始めるころ、この世の中はどうなっているとお思いですか?何も変わっていないと思われる人はいますか?私が自信をもって言えるのは、英会話が高校の授業の一つになっていて、大学入試でも英会話能力が試されるということです。そのときに、「なんであのとき英会話スクールに通わしてくれなかったん?」と言われないためにも、今、よく考えてあげてください。
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